2005年12月 2日 (金)

今夜ですよ

 今日(12/2)の深夜、日本テレビ「爆笑問題のススメ」。
 ゲスト・小林信彦。

 テレビ出演は大変にめずらしいので「そっちの方面」
 が好きな人はゆめゆめ見逃さないように・・・。

 収録見学したんですよ。↓

     http://kasumi6128.cocolog-nifty.com/naohisa/2005/10/post_8bd6.html

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2005年11月11日 (金)

「児雷也」といえば

 JIRAIYA

 昨日見た新橋演舞場の「児雷也」から思い出したこと。

 大島渚がイギリス映画協会の委嘱によって95年に製作した
 「日本映画の百年」というノンフィクション作品がある。

 これはイギリス映画協会が、各国の映画作家に「その国映画百年」
 を振り返ってもらうという企画で、アメリカ編がスコセージ、
 フランス編がゴダール、そして日本編の監督が大島渚だった。

 で、大島の「日本映画の百年」には1899年に撮影された「紅葉狩」
 (九代目・団十郎)から1993年の「月はどっちに出ている」
 までの映像が引用され、大島自身のナレーション・映画史観によって構成
 されている。たいそう面白い作品だった。

 1時間弱の作品なのだが、冒頭に引用されているのが、伊藤大輔の
 「忠治旅日記」(1927)、そして末尾に引用されているのが
 牧野省三監督の「豪傑児雷也」(1921)なのであった。

 ここで引用されているたった数十秒の「児雷也」は感動的で、ながく
 記憶に残っている。妖術を使って敵を惑わす児雷也、のくだりなので
 あるが、映画創世記の稚拙な撮影技術と、役者(尾上松之助である)たち
 の一種異様なボルテージがあいまって、なるほど「児雷也」というのは
 こういう「異様」なものなんだなというのが了解出来た。

 ここで演舞場の「児雷也」に戻るが、いま、新作の児雷也をやるのなら
 (クレジットには黙阿弥の名前もあるが、実質的には新作である)、
 菊五郎劇団の面々には牧野版の「児雷也」の精神を学んで欲しかった。

 最新の技術や、アクロバティックな立ち回り、現代語のギャグを駆使するよりも、
 むしろ動きもしない大ガマの上で堂々と妖術を使い、それが敵役はもとより、
 観客をも幻惑させる児雷也が見たかったと思う。人間の想像力というものは
 素朴な媒介によってかえって広がるという部分があるはずだ。

 ところで。大島渚のテレビ作品「日本映画の百年」は、いまだに商品化は
 されていないらしい。(私はテレビ朝日で放送した「大島渚編」「ゴダール編」
 をVHS録画して保存している) 権利関係のクリアが難しいのかもしれない
 が(なにしろ戦前、戦後の映画が数十本、引用されているから)これは
 広く観られて良い作品だと思う。

 大島渚 テレビ作品一覧 http://www.geocities.jp/kmkr_01/tv.oshima-nagisa.html
 牧野省三 http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/SILENT/22MAKINO.htm
       (児雷也画像あり)

 追記

 ① 調べてみたら、ヨーロッパではVHS販売されている模様。
   http://www.sendit.com/video/item/7000000047103

 ② 「日本映画の百年」のシナリオは大島渚の著書「戦後50年 映画100年」
   (風媒社)に所収されています。

 ③ 大島渚が91年にBBCの委嘱で撮影したドキュメント
   「キョート・マイ・マーザーズ・プレイス」のビデオを誰かお持ちでは
   ありませんか。観たいのですが。http://data.scottishscreen.com/film/detail.php?id=55430001

 ④ 演舞場「児雷也」の老師役が尾上松助だと後で知って驚愕。
   相当、お体の加減が悪いのではないかな・・・心配です。

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2005年11月10日 (木)

「TAKESHIS’」と「児雷也」

 シネプレックス幕張で、北野武監督の新作「TAKESHIS’」を観る。観客5人。
 
 最高に面白かった。近ごろこんなにエキサイトさせられた映画は無い。
 ストーリーとしては、荘子の「胡蝶の夢」に似ている。
 それをフェリーニ風の漫画式表現で綴る。
 ただし、フェリー二のように、「夢のように懐かしい」イメージが連なるの
 ではなくて、徹底して寒々しい(安っぽい、寂しい、衰弱した)光景が広がる。
 その方法は「現代の日本」を映し出すことに成功している。

 以下、防備録メモ。

 ○ ほとんど全員の役者が1人2役(以上)を演じるが、テレビ局の刺青師
   だけが、1役だけで出る。
   従ってたけしが刺青メイク中に寝覚めたシーンのみ「現実」として了解出来るか。

 ○ テレビスタジオで撮影している沖縄のドラマは「ソナチネ」の書き換え。
   ただしそれは「映画」ではなく「テレビドラマ」である。
   そこは悪意に取り巻かれた場所である。
   
 ○ コンビニのトイレがテレビスタジオであったのと同様、「夢のような」
   沖縄の浜辺のシーンも「書き割りの中の沖縄」であったと読める。
   (沖縄への逃避そのものが虚構)

 ○ 役者「北野武」は、ついにオーディションに合格した。
   その結果として得た役がピエロである。
   オーディションに通うエピソードは、「サインを貰う」エピソード
   より前の自制にあったと読める。
   

 ○ 「やくざ映画」「沖縄」「コンビニ」の三つはテレビスタジオ内の
   虚構である。では頭と末尾に置かれた日米戦はどうなるのだろうか。
   この点に不満が残る。(アメリカを象徴したものだとすれば面白くない)

 ○ 音楽がいい。ダンスと歌のシークエンスもいい。もっと長くてもよい
   ほどだ。

 この映画はもう一回観たいな、と思いながら新橋演舞場へ。

 菊五郎劇団「児雷也豪傑譚話」。
 つまらなかった。いま、わざわざ「児雷也」をやるのなら、そのための
 補助線が必要なはず。夏の「十二夜」が面白かっただけに、がっかりの
 後退ぶりであった。松也のヤンキーお嬢のみが収穫だった。

 もっともこの日は、取り合わせも悪かったか。
 「TAKESHIS’」ほどの突出した映画を観た後に、それを上回る歌舞伎なんて
 そうあるものではない。演舞場の三階で、ただぼんやりとしていただけの
 話しである。

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